「想い出はモノクローム」に色をつけて【大滝詠一と松本隆の友情】

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まえがき

音楽には、人生のある瞬間を永遠に封じ込める力があると思う。

それは、ふと耳にしたメロディに過去の風景がよみがえったり、何気ない歌詞に言葉にできなかった感情を見出したりするような、そんなささやかな奇跡だ。

大滝詠一という音楽家が生み出した世界には、そうした奇跡がいくつも詰まっている。

軽やかで、懐かしくて、でもどこか切ない――彼の音楽は、ただ「懐かしさ」だけで語り尽くせるものではない。ときに華やかで、ときに静かに心を刺す。そしてその背景には、知られざる物語や想いが静かに息づいている。

この文章は、そんなひとつの歌をめぐる記憶と感情の記録です。

シティポップという枠を超えて、「君は天然色」という楽曲に込められた深い愛と、見えないところで支え合ったふたりの天才の物語に、少しだけ耳を傾けてみてください。

あの頃、色を失った街に、音楽がそっと色をつけてくれたように――。



「想い出はモノクローム」に色をつけて

eiichi-ohtaki

「机の上のポラロイド写真に話しかけてたら」——

この歌詞の一節が、ずっと引っかかっていた。失恋にしては少し重すぎる。生き別れとも違う、もっと深い哀しみがにじんでいるように思えてならなかった。

その答えを知ったのは、ある記事か、ラジオ番組での作詞家・松本隆さんの話を聞いたときだった。

この曲の作詞は、もともと松本隆さんに依頼された。しかしその頃、彼は最愛の妹を病気で亡くしたばかり。精神的なショックは大きく、街の景色さえ色を失って見えるほどだったという。当然ながら詞を書くどころではなく、依頼を断ったそうだ。

だが、大滝詠一さんは言った。

「君の詞じゃないとダメなんだ。半年でも、一年でも待つよ。」

大滝さんは実際にアルバムのリリースを延期してまで、松本さんの復帰を待ち続けた。そして、どん底の心に浮かんだのが、「想い出はモノクローム」というフレーズだった。妹を失い、色を失った街で、その言葉は静かに、しかし確かに生まれた。

続く「色をつけてくれ」という歌詞もまた、ただのロマンチックな表現ではない。

「人が死ぬと、風景は色を失う。だから、何色でもいい。染めてほしい。」

そんな切実な祈りが込められていたという。

このエピソードを知ってからというもの、私はもうこの曲を「おしゃれなシティポップ」だなんて軽々しくは聴けなくなった。

「想い出はモノクローム、色をつけてくれ、もう一度そばに来て、華やいで麗しのカラーガール」

——このサビが流れるたび、胸が締めつけられる。

知らない人は、なんでそんな曲で泣いてるの?と思うかもしれない。

でも私は、二人の天才が、愛と友情と深い喪失を込めて作り上げたこの音楽を、レクイエムとして聴いている。色を失った世界に、ほんのひととき、色を取り戻すように。

大滝さんは、今ごろ天国で、松本さんの妹さんのためにこの歌を歌っているのかもしれない。そんな風に思うと、不思議と慰められる気がするのだ。

[Official] 大滝詠一「君は天然色」Music Video (40th Anniversary Version)

『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』
2021.03.21 Release

松本隆さんから大瀧詠一さんへの弔辞

eiichi-ohtaki

今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。

ぼくと細野さんと茂の三人で棺を支えて。

持ち方が緩いとか甘いなとか、ニヤッとしながら叱らないでください。

眠るような顔のそばに花を置きながら、ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました。

だから片方が肉体を失えば、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします。

1969年雨の夜、ぼくは初めて君の部屋を訪ねた。

六本木通りでタクシーに手を上げながら、濡れた路面が鏡のように映す街の灯に見とれていた。

布団と炬燵しかない部屋に寝転んで、来る途中、見てきた光景をぼくは紙に書いた。

君は時々、ギターを弾きながら、漫画を読んでいたが、詞を二つ書き上げる時分には、うとうと眠ってた。

炬燵の上に、書き上げたばかりの詞を置いて、ぼくは帰った。

「曲がついたよ」と君が言うので、西麻布のぼくの部屋に楽器を抱えて四人集まった。

聴きながら、ぼくは「あ、できた」と思った。

それが「春よ来い」と、「十二月の雨の日」である。

北へ還る十二月の旅人よ。

ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。

なぜ謎のように「十二月」という単語が詩の中にでてくるのか、やっとわかったよ。

苦く美しい青春をありがとう。

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2014年3月21日 お別れ会

幕開けは「はっぴいえんど」から

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大瀧詠一と松本隆は、1969年に結成された日本を代表するバンド「はっぴいえんど」で共に活動した盟友であり、その後も非常に濃密な関係を築きました。

松本隆はドラムと作詞、大瀧はボーカル・ギター・作曲を担当。「日本語ロック」の先駆けとして互いに才能を認め合い、深い信頼関係を築きました。

スターへの歩みと再会

バンド解散後、松本は大ヒットを連発する作詞家へ。大瀧はプロデューサーやアーティストとして活躍。二人のコラボは絶えず、特に1981年の松田聖子「風立ちぬ」では松本作詞・大瀧作曲という黄金コンビが実現しました。

『A LONG VACATION』を支えた絆

1980〜81年、大滝は自らの代表作『A LONG VACATION』の全詞を松本に依頼。しかし松本は妹の死去によりスランプに陥り、執筆を辞退しようとします。

そこで大滝は「リリースを半年延期してでも待つ」と応じ、松本が心を癒した後に詞を書き上げる道を選びました。

松本は後に「大瀧さんは僕の詞を本当に愛してくれていた」と語り、大瀧は「松本の詩でなければ意味がない」と信頼を示しました。

この厚い友情と相互リスペクトが、「君は天然色」やその後の名曲へとつながっています。

あとがき

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音楽を聴くという行為は、ただ音を楽しむことではなく、時に「誰かの想い」と出会うことなのかもしれません。

「想い出はモノクローム」というフレーズには、言葉にしきれないほどの哀しみと、それを受け止める友情、そして再び立ち上がる力が込められていました。

それを知ってからというもの、私はもうこの曲を以前と同じようには聴けなくなりました。音の向こうに、大滝詠一さんと松本隆さん、そしてその先にいる“もう会えない誰か”の姿が見えてくるようになったからです。

音楽は風のように、時を超えて人の心に届きます。

何十年経ってもなお、色あせるどころか、より鮮やかに響く歌がある。

そんな音楽に出会えたことは、ひとつの幸福だと思います。

あなたにも、人生のどこかで、色を取り戻してくれるような一曲がありますように。

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